時代と共に変化していく、日本が抱える公害問題

環境問題

公害とは、経済の利益を追求した結果環境を汚染し、巡り巡って人体にも多大な悪影響を及ぼす社会問題のことを指します。
日本で公害問題が指摘されるようになったのは1960~1970年代における高度経済成長期頃からだと思われがちですが、実はそれよりも前から、日本は様々な公害問題に直面してきました。

今回は、近代日本の中で発生した公害問題を年代順に辿りながら、
「何故このような公害が発生してしまったのか」
「これからの未来で同じことを繰り返さないために必要なのは何か」
ということについて考えていきたいと思います。

明治の公害

足尾銅山鉱毒事件(栃木・群馬)

足尾銅山鉱毒事件は、明治11年(1878年)頃に栃木県群馬県渡良瀬川周辺で起きた、記録上日本で初めてとなる公害事件です。
ちなみに、この時代にはまだ「公害」という言葉は生まれていませんでした。

銅山の開発により排出された煙や鉱毒ガスなどの有害物質が、周辺環境に多大な悪影響をもたらしたため、当時栃木の政治家であった田中正造を中心に国へ向けた抗議運動や問題提起がさかんに行われました。
この事件は「100年公害」と言われるほど根深く、2011年には当時発生した東日本大震災後に渡良瀬川下流から基準値を超えるが検出されるなど、現在でもまだその影響力が問題視されています。

浅野セメント降灰事件(東京)

明治16年(1883年)頃、当時東京都深川市にあった浅野セメント会社の工場の煙突から大量のセメント粉末が飛散し、周辺住民の多くが体調を崩してしまうなどの被害が発生しました。
それにより抗議の声が相次いだ結果、明治45年(1912)年には「5年以内に工場を立ち退かせる」と企業側と周辺住民とが合意することで、一応の解決となりました。

別子銅山煙害事件(愛媛)

明治25年(1893年)、愛媛県新居浜市の山麓部にあった銅山からの銅精錬排ガスによると思われる、大規模な水稲被害が発生しました。
この時、最も大きな被害を受けた4村(新居浜、金子、庄内、新須賀)では、農民代表が愛媛県に被害を訴え精錬所に損害賠償を要求しています。
その後は農民と精錬所の間で賠償金支払い、銅の生産量の制限を含む厳しい協定が結ばれています。

大正の公害

神通川イタイイタイ病(富山)

イタイイタイ病とは、岐阜県三井金属鉱業神岡事業所(神岡鉱山)による未処理廃水により、神通川下流域の富山県1910年代1970年代前半にかけて発生した公害(病気)です。

廃水に含まれる化学物質のカドミウムが周辺地域で育てていた米や野菜を汚染し、それを口にしてしまった人は貧血、口の渇き、便秘などの症状に悩まされるようになり、さらには徐々に骨も脆くなり、最悪の場合は死に至ってしまうという恐ろしい病気です。
患者たちがその痛みにただ「痛い!痛い!」と泣き叫ぶことしかできなかったことから、イタイイタイ病と名付けられたと言われています。

イタイイタイ病は四大公害病の一つとなっており、この事件をきっかけに辞書に「公害」という言葉が辞書に載るようになったと言っても過言ではありません。
また、海外でも日本語の音をそのまま写した“Itai-itai disease”として多くの辞書に記載されています。

昭和の公害

水俣病(熊本・新潟)

水俣病もまた、四大公害病の一つに認定されています。
昭和31年(1956年)には熊本県の水俣湾沿岸で発生し、昭和39年(1964年)には新潟県の阿賀野川周辺で「第二水俣病」として発生しています。

当時、地域に存在していた工場から流出したメチル水銀化合物(有機水銀)が、イタイイタイ病と同様に巡り巡って人の体内に取り込まれ、多くの周辺住民が中毒系の中枢神経疾患を発症しました。
水俣病の主な症状としては手足の痺れ、体の震え、言葉がしっかり喋れなくなるなどがあり、酷い場合は激しい痛みに襲われることもあったそうです。

多くの死者を出し、また生きながらえた人にも重い後遺症を残した水俣病は今でも根深い問題を残しており、2020年現在でも水俣病被害者たちによる国に対する訴訟が行われています。

四日市ぜんそく(三重)

四日市ぜんそくとは、昭和35年(1960年)~昭和47年(1972年)頃に三重県四日市と南側に隣接する三重郡楠町(現在は四日市市と合併)の周辺で発生した集団喘息障害のことです。

当時四日市には日本初の大々的な石油コンビナートが建設され稼働していたのですが、その工場の活動の中で大量の亜硫酸ガス(硫酸ミスト)が排出されたことにより、多くの地域住民が呼吸器疾患(咽頭・喉頭の上部気道炎症、気管支炎、気管支喘息、肺気腫)の症状に悩まされるようになりました。

この四日市ぜんそくは当時政府を巻き込んだ社会問題となり、その後の日本各地における公害反対運動に大きな影響を与えたと言われています。
前述したイタイイタイ病、水俣病、第二水俣病に加え、四日市ぜんそくも四大公害病の一つに認定されています。

光化学スモッグ発生(東京)

光化学スモッグとは、工場や自動車などから排出されるガスに含まれる窒素酸化物、または炭化水素などの化学物質が、日光に含まれる紫外線を受けることで発生する有害なスモッグのことです。
特に夏場の暑く、日射しの強い日に発生しやすいと言われています。
子どもの頃の夏休み中、「光化学スモッグ注意報」を聞いたことのある方も多いのではないでしょうか。

日本で初めて検知されたのは昭和45年(1970年)の夏で、当時都内の学校の運動場にいた中高生43名が目の違和感や喉の痛みなどを訴えたことでその存在が明らかになりました。
その後工場の稼働数が年々減ったことにより、2000年代に入って以降はほとんど検出されなくなりましたが、紫外線の強さなどによっては今でも発生する可能性は十分にあると言われています。

平成の公害

アスベスト被害(全国)

アスベストとは、別名「石綿(いしわた)」と呼ばれる天然鉱石のことで、非常に熱に強い性質を持っていることから、日本では長年建築材として重宝されていました。
しかし、平成17年(2005年)の6月末に、アスベストが原因で発生した中皮腫により大手機械メーカーの社員が多数死亡したことから、アスベストには有害な物質が含まれているということが判明しました。
その後、アスベストは中皮腫に限らず、肺がんや肺線維症なども引き起こすことが分かったため、現在ではアスベストを建築材として使用することは禁止されています。

福島原発事故(福島)

福島原発事故は、近年起きた公害の中では最も新しいだけでなく、現代を生きる我々にとって最も強烈な印象を残した公害問題だと言っても過言ではないでしょう。

平成23年(2011年)3月11日に発生した東日本大震災による地震及び津波の影響を受け、福島第一原発では原子炉建屋や送電設備などが大きく損壊し、大気中に大量の放射性物質を撒き散らしました。
それにより原発周辺は汚染地域と化してしまったため、地域住民たちは避難を余儀なくされました。

この事故は、国際原子力事象評価尺度(INES)において最悪のレベル7(深刻な事故)に分類され、これは1986年に旧ソ連で発生したチェルノブイリ原発事故と同レベルになります。
現在、東日本大震災及び福島原発事故が発生してから10年近くの歳月が経とうとしていますが、今でも福島第一原発では使用済み核燃料の取り出し作業やタンクの解体作業などが行われています。
この未曽有の事故の収束作業には、まだまだ長い時間がかかると考えられています。

まとめ‐これからの時代、公害を発生させないためには‐

今回ご紹介してきたもの以外にも、日本では過去に多くの公害が発生し、その都度深刻な社会問題として取り上げられてきました。
これからの時代に公害を発生させないためには、各企業による努力ももちろん必要不可欠ですが、それだけではなく私たち一人一人が化学物質への知識を深め、
「自分の暮らす街ではどういった取り組みをしているんだろう?」
といったように、日ごろから関心を持つことも非常に大切です。

当社も、環境に優しい再生可能エネルギーの筆頭と言える太陽光発電システムを扱う企業の一つとして、今後の日本の環境をより良くしていくためにはどうするべきか引き続き考えていきたいと思います。

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