日本最大の湖・琵琶湖を環境汚染から改善させた「市民の力」とは

環境問題

滋賀県にある琵琶湖は、約400万年前に誕生した長い歴史を持つ古代湖です。
日本最大の面積と貯水量を有しており、一級水系「淀川水系」に属する一級河川でもあります。
湖には1700種以上の水生動植物が生息し、そのうち固有種は報告されているだけでも60種類以上いることが分かっています。

また、琵琶湖は上下水道、農業、工業などにも幅広く利用されており、「京阪神の水がめ」として、人々の生活に必要不可欠な存在となっています。
このような背景から、2015年には日本遺産に登録されています。

そんな琵琶湖ですが、過去にはさまざまな要因により、深刻な環境被害に直面したことがありました。
このように、一時は「瀕死状態」とまで言われた琵琶湖の水質を改善しようと立ち上がったのは、他でもない市民たちでした。

今回は、なぜ琵琶湖が深刻な環境被害に襲われたのか、そこからどのように市民が動き、水質を改善へ導いたのかなどついて解説していきます。

琵琶湖を襲った環境被害

工場排水・生活排水による赤潮の発生

1977年5月、突如として琵琶湖の水が赤茶色に染まりました。
同じ頃、近畿圏では水道水が異臭を放ちはじめ、養魚場では大量の魚が死んでいました。
これらはすべて、琵琶湖に赤潮が発生したことが原因でした。

赤潮とは、水中でプランクトンなどの微小な生物が異常に増殖し、海などの水域の水が赤く変色する現象のことです。
水温上昇やプランクトンの競合などによって発生しますが、琵琶湖で赤潮が発生した主な原因は「富栄養化(ふえいようか)」でした。

富栄養化とは、海、湖沼、河川などの水に含まれる栄養分が、本来の状態よりも増え過ぎてしまうことです。
栄養分が増えるのは一見良いことのように思えますが、自然環境はすべての生物が一定のバランスを保つことで守られています。
つまり富栄養化とは、本来の自然環境が崩れてしまった危機的状況なのです。

富栄養化した水域では、水生植物やプランクトンが一時的にどっと増え、これらが死ぬと、リンや窒素などの栄養塩類が水中に溶け出し、さらに植物やプランクトンを増やしていきます。
これを繰り返すことで水中の酸素が減り、やがて水生生物が死滅し、水環境が悪化することで異臭などが発生します。

琵琶湖を有する滋賀県では高度成長期以降、工場建設や産業発展、京阪神地区の都市化などが進み、1970年代には年間約2万人の勢いで人口が増え続けました。
しかし、急速に増える人口に下水道の整備は追い付いておらず、大量の工場排水や生活排水が琵琶湖に流れ込んでいました。
その廃水に、リンや窒素が含まれていたと考えられています。

これ以降、赤潮は毎年発生するようになり、1983年にはアオコ(大量の藻類)も発生するようになりました。

沿岸域の開発による生物や水域の減少

高度経済成長期以前から行われていた沿岸開発もまた、琵琶湖に数々の環境被害をもたらしています。
1940年代には、水域を堤防で仕切り内部の水を排除して農地を造る「干拓」がさかんに行われ、琵琶湖沿岸にあった2,900ヘクタールの内湖の総面積は約7分の1の430ヘクタール程に減少してしまいました。

さらに1950年代に入ると、ヨシ原の面積も大幅に減少しました。
水の浄化作用を持ち、さまざまな生物が生息するヨシ原の減少は、琵琶湖全体に大きなダメージを与えました。
湖に流れる水源の湧水に生息していたはずのタナゴなどの魚はいなくなり、ニゴロブナなどの琵琶湖の固有種の漁獲量も激減しました。

外来魚の侵入

日本の淡水の生態系に大きな影響を及ぼすとされている、ブラックバスなどの外来魚。
このような外来魚は、ある程度成長すると稚魚を捕食するようになるため、湖などに入り込むと元々生息していた魚にとっては大きな脅威となります。
中でも食欲旺盛で縄張り意識の高いブラックバスは、在来種に大きな悪影響を及ぼす存在として知られており、琵琶湖でも深刻な問題となっています。

ブラックバスは1920年に北米から持ち込まれ、琵琶湖では1970年頃からその姿が目撃されるようになったと言われています。
1970年後半には、ブラックバスが原因だと考えられる漁業被害が度々報告されるようになりました。

琵琶湖の環境改善に向けた市民の取り組み

石けん運動

琵琶湖の環境問題が深刻化してきた1970年代、滋賀県では赤ちゃんや主婦の肌荒れが目立ってきていました。
これらの原因は合成洗剤にあると考えられ、市民たちは洗剤の勉強会を開いたり、合成洗剤に代わる石けんの共同購入に取り組んだりするようになりました。

そうした中、前述の「琵琶湖に赤潮が発生した」というニュースが報じられます。
これを機に、市民の間ではリンを含む洗剤の使用をやめ、天然油脂を主原料とした粉石けんを代わりに使おうという「石けん運動」が始まりました。

はじめは主婦層を中心に広がっていた「石けん運動」は、やがて生協、漁協、農協、労働団体、福祉団体、青年会議所なども巻き込むほどの大きな運動に発展します。
1978年には「びわ湖を守る粉石けん使用推進県民運動」県連絡会議(通称「石けん会議」)も結成され、行政に対して早急に具体的な対策をとるよう要求しました。

市民らによるこれらの活動が実を結び、1980年には「滋賀県琵琶湖の富栄養化の防止に関する条例」(通称「琵琶湖条例」)が施行されました。同条例は、工場排水に含まれるリン・窒素の規制だけでなく、リン・窒素を含む家庭用洗剤の使用および販売の禁止、肥料の適正使用、農業排水や生活排水の指導など、広範囲にわたってリン・窒素を規制する画期的なものとなりました。

その結果、滋賀県では合成洗剤を一切使わず粉石けんのみを使用する人の割合が、1979年4月から1980年8月にかけて50%近く増加しました。
また、1975年以降は下水道の整備も飛躍的に進み、1980年代半ばには琵琶湖の水質も大きく改善したことによって、リンと窒素の濃度は大幅に減少しました。

琵琶湖周辺の清掃活動

琵琶湖条例制定の翌年、滋賀県は7月1日を「びわ湖の日」と定め、毎年、県内全域で県民による清掃作業を行っています。
また、1992年7月1日には「ヨシ群落保全条例」を制定し、ヨシの保全、ヨシ群落の造成、植栽、清掃などを積極的に行うことを定めています。

食用油の再利用

「石けん運動」の開始と同じ頃、家庭で天ぷらや唐揚げなどの調理に使って余った「廃食用油」を回収して石けんにリサイクルしよう、という運動も行われていました。
しかし、その後リンを使用せずに作られた洗剤が登場したことで石けん需要が低下したため、廃食用油の新たな使い道を探す必要が生じました。

そこで考え出されたのが、バイオディーゼル(BDF)への再利用です。
バイオディーゼルとは、バイオマス(生物資源)を原料としたディーゼルエンジン用燃料のことです。
化石燃料に代わるクリーンな燃料として注目され、世界中で利用が進んでいます。

日本では1997年、全国に先駆けて京都市で廃食用油のBDF利用が始まりました。
廃食用油の回収は月1回、市民ボランティアが各地区に回収拠点を設置し、近隣住民がペットボトル容器に溜めておいた廃食用油を持ち寄る「ペットボトル方式」で行われています。
一方、市ではBDFの品質規格の策定に取り組み、2004年には高品質のBDFを安定的に供給するためのプラントを建設しました。

市民から提供された廃食用油はそのプラントでBDF化し、ごみ収集車や市バスに利用されています。
京都市は、この取り組みによって年間およそ1,500トンのCO2を削減できていると試算しています。

まとめ

市民が一丸となって環境改善に取り組んだことによって、少しずつ本来の美しい自然を取り戻しているかに思える琵琶湖ですが、近年では再びリンや窒素の濃度が上昇しているとの報告もあります。
かけがえのない自然を末永く守っていくためには、地道に保全行動を続けていくことが何より大切ですね。

参考URL:琵琶湖を守る県民の活動、取組(滋賀県)
参考URL:琵琶湖の保全再生について(滋賀県)

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