昔日本は菜食国家だったって本当?その理由を解説!

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環境保護や動物愛護への意識が世界的に高まりつつある近年では、動物性食品をなるべく食べない「ヴィーガン/ベジタリアン」な食生活を実践する人が増えています。

とはいえ、この流れが特に顕著なのは主にイギリス、アメリカ、オーストラリアなどの欧米圏で、日本ではまだまだ一般的とは言えないのが現状です。
その理由としては、欧米に比べてヴィーガン/ベジタリアンなメニューを扱う飲食店が少ないことや、ヴィーガン/ベジタリアン食品の価格が比較的高いことなどが考えられます。

しかし実は、日本はかつて世界有数の菜食国家だったことはご存知でしょうか?
今でこそ街に出れば、ハンバーガーショップや焼き肉屋などが立ち並んでいますが、そういった飲食店が無い時代の日本では、ごく自然に菜食中心の食生活が実践されていたのです。

今回は、昔の日本の人々が菜食中心の食生活をしていた理由、そしてそこから学べることについて解説します。

「日本はかつて菜食国家だった」と言われる理由

稲作がさかんだった

「日本は元々菜食国家だった」とはいえ、それは主に江戸時代~明治時代あたりの近代のことであり、実は古代の日本人は肉を食べていたことが分かっています。
実際、縄文時代の遺跡や貝塚からは、シカ、イノシシ、ウサギ、ネズミなどの動物の骨が数多く発掘されています。

しかし、これらの多くは家畜として飼育したのではなく、狩猟によって捕らえたと考えられており、主食として食べるというよりは、滋養の薬として摂取する意味合いが強かったそうです。

家畜飼育があまり行われなかった理由としては、水田稲作がさかんだったことが挙げられます。
農林水産省によると、縄文時代の後・晩期には既に中国もしくは朝鮮半島から伝来した水田稲作が行われていた可能性が高く、弥生時代以降、急速に全国に広がっていったそうです。
腹持ちが良く栄養価も高いお米は、たちまち日本人の食文化の根幹を支える存在となったのです。

一方で、島国ゆえに耕作地が少ない日本では、農作物の栽培よりも遥かに多くの土地を要する家畜飼育を行うのはハードルが高く、水田稲作を何よりも優先した結果、家畜飼育がそこまで普及しなかったのではないかと考えられています。
また、今となっては畜産動物の代表格として知られている牛ですが、当時は農耕に欠かせない労働力として重宝されていたため、食用になることはまず無かったそうです。

肉食禁止令が出されていた

飛鳥時代になり百済から仏教が伝来すると、動物の殺生を禁ずる仏教の教えによって「肉食は悪」という考えが広がり、度々「肉食禁止令」が出されるようになりました。
675年、天武天皇によって出された肉食禁止令が、日本で初めて出された肉食禁止令だと言われています。
この肉食禁止令では、落とし穴や槍を使った狩猟を禁止した他、牛、馬、サル、鶏を食することを禁じました。
また、奈良時代には元明天皇や聖武天皇によって、獣の解体を禁ずる令が出されました。

しかし、多くの貴族が仏教に帰依して肉食を避ける一方で、庶民の間では時々獣肉が食べられていたようです。
これは、当時は僧侶が庶民に向けて自由に布教することが禁じられていたため、肉食禁止令が出されても庶民の耳まで届かなかったことが理由として考えられています。
とはいえ毎日獣肉が獲れるわけではないため、庶民の食事も基本的には畑で獲れた野菜、山菜、玄米などで構成されていました。

その後、肉食禁忌は平安時代まで(主に貴族の間で)守られましたが、鎌倉時代になり武士が台頭するようになると、肉食への禁忌は一旦薄まります。
一方で、仏教分野では中国より伝わった禅宗の影響により、動物性食品を一切使わない「精進料理」が発達しました。

再び肉食が厳しく取り締まられるようになったのは、江戸時代中期に入ってからのことです。
江戸幕府の第5代将軍・徳川綱吉が出した「生類憐みの令」によって、動物を殺して食べることが全面的に禁止されました。

この政策は庶民の生活に大きな影響を与え、結果的に綱吉の死後は廃止されましたが、この政策の名残によって、日本では現在に至るまで犬肉を食す文化が根付いていません。

そして、その後明治時代に入り、西洋文明の影響で牛肉を食べる文化が生まれるまで、日本人の多くは 主に菜食を中心とした食生活を行っていました。
この飛鳥時代~江戸時代の人々の食生活こそが、現代につながる健康的な和食の原点だと言われています。

昔の日本の人々が主に食べていたもの

ここでは、和食が飛躍的に発展したと言われている平安時代・江戸時代の人々の食生活について解説します。

平安時代

まず平安時代ですが、当時は農業の技術がまだ確立しておらず、農作物の生産量が限られていたことから、庶民が白米を口にする機会は滅多にありませんでした。
このため、庶民は麦、アワ、ヒエなどの雑穀を主食としていました。
雑穀がゆ、汁物、おかず3品程度といった「一汁三菜」が基本で、副菜には野菜の和え物や酢漬けなどが並んでいたそうです。

またこの頃、食事は朝と夕方に食事を取る「1日2食」が基本でした。

江戸時代

江戸時代になると、庶民の食事は「ご飯・味噌汁・漬物」という「一汁一菜」が基本になります。
漬物は、たくあん、梅干し、ぬか漬け、らっきょうなど、今でも私たちが食べているものが並んでいたそうです。
また味噌汁には、ワカメや海苔といった海藻類が入っていたそうです。

庶民の中でも比較的裕福な家庭では、一汁一菜に加えて煮豆や納豆などのおかずがつく場合もありました。
また奉公人を抱える町人や下級武士の場合は、ご飯、味噌汁、漬物に加えてイワシなどの魚を食べることもありました。
ちなみに、江戸時代初期までは平安時代と同様「1日2食」が一般的でしたが、江戸時代中期になると朝、昼、夕方に食事を取る「1日3食」が習慣として定着したと言われています。

江戸時代後期になると、裕福な家庭や町人だけでなく、多くの庶民の食卓に「米飯・味噌汁・漬物・おかず1~2品」が並ぶようになります。
特に庶民は白米を中心とした食生活を送っており、時には1日に1人4~5合の白米を食べることもありました。

なお、魚が食卓に並ぶのは、裕福な家庭でも2週間に1回程度だったと言われています。
魚の中でも、比較的手に入りやすいマグロやイワシなどが庶民には好まれていたそうです。
基本的には刺身や膾(なます)にして食べていましたが、江戸時代後期に七輪(しちりん)が登場してからは、焼き魚も食卓に上がるようになったと言われています。

【まとめ】昔の日本の人々の食生活から学べること

食の選択肢が無かったとはいえ、平安時代や江戸時代の人々は、基本的にヘルシーでバランスの良い食生活を送っていたことが分かりました。
対して、現代は食の選択肢が大幅に広がり、和食だけでなく洋食、中華料理、韓国料理など、さまざまな料理が手軽に食べられるようになりました。
また、現代人は平安時代や江戸時代の人々に比べて、平均寿命が大幅に伸びていることも分かっています。

一方で、現代人の肥満率および生活習慣病の発症率は年々増加しており、脂質の摂り過ぎと栄養成分の偏りが懸念されています。
また、肉やパンを食べる人が増える反面、米、野菜、海藻類、魚介類を食べる人が減っていることも分かっています。

平安時代や江戸時代の人々と全く同じ食生活を送ることは難しいですが、脂質の多い動物性食品を食べ過ぎている方、栄養の偏った食生活をしている方は、できる範囲で昔の食生活を取り入れてみると良いかもしれません。
環境保護や動物愛護の観点から菜食中心の食事をすることも素晴らしいですが、まずは健康のために、一度食生活を見直してみてはいかがでしょうか。


参考:日本人と食、農業の歴史|季刊大林
参考:役用から肉用へ|畜産ZOO鑑
参考:仏教の食肉禁止|食肉の栄養知識
参考:江戸時代の食事情|日本食文化の醤油を知る
参考:平安時代の生活「平安時代の食文化とは」

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